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社団法人化
登記のための社判を作ることになって、「あれ、これってもしかして私会社作ってる?」って気づく(遅いw)。なんか色々開き直って矢面に立つ覚悟を決める。そこからはもうフルスロットルでストレッチの日々。
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カンガルー卒業
子どもが無事に保育園に入学。保育園の先生様様です。
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プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会設立
想いと勢いと勝手な使命感しかなかったけど、沢山のフリーランス仲間や企業のご協力を頂いて、設立。着想から設立まで3ヶ月弱。わりとサクッと立ち上げたけど、1週間でメルマガ登録が1500人。期待の大きさにビビって気が引き締まる。この時はまだ黒子に徹することにこだわっていた。
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志麻さんがうちにやってくる
タスカジさんのデビュー前テストで何やらスゴい経歴の人が。夫が一口食べて「なんだこの人は!今すぐ定期依頼をしろ!」と。そして次第にこの人の才能は世に知らしめるべしと確信。今でも我が家の生命線は志麻さんが握っている。ありがとう!大好き志麻さん
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「柔軟な働き方を勝手に研究会」という名のランチ会
フリーランスやフリーランスに興味がある友人たちと「フリーランスあるある」トークで盛り上がる。その晩、やっぱ我々ピン芸人フリーランスの声を集める窓口が必要だよなぁという想いでいてもたってもいられなくなり、深夜にベッドを抜け出しパワポで4~5枚の設立趣意書を作る。
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第1回雇用関係によらない働き方研究会のニュースをFBでシェア
「私たちの時代キター!」とシェアしたらフリーランス仲間からたくさんコメントが付いた。「私たちも研究したい!」という先輩のコメントをきっかけにランチ会をすることに。
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カンガルーワークを開始
エルゴがあればなんでもできる!自転車走行しながらの授乳もマスター。応援してくださった周りの皆さんに深謝。
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第2子出産
退院前日にぎっくり腰になる
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PRの仕事を再開
子どものエネルギーと好奇心に自分一人で向き合うことをやめ、無認可のプリスクールへ。タスカジ、コズレの広報を開始。
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左の卵巣を切除
幸い、子宮は残された。生きていられることに感謝。
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卵巣膿腫が悪性化してるかもと言われる
二人目妊娠の準備ができてるかどうかなんとなく見てもらいに行ったら、衝撃の結果。悪性か境界悪性か、切ってみるまで分からないとのこと。「神様の言うとおり」と思いながらも悩んだ末に、大学院を退学。専業主婦に。(ケースライティングや翻訳の仕事だけ続ける)
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第1子出産
自分より大切な人ができる。
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妊娠発覚
思ったより早くて戸惑う。妊娠3ヶ月の時のパリ出張で風邪を引いたのがなかなか治らず、マタニティブルーに。安定期に入ったら前向きになった。
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結婚
自分と同じくらい大切な人ができる。
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博士課程に入学
日吉で職員、湘南台で学生という二足の草鞋生活。研究テーマはSNS時代の世論形成みたいなこと(沈黙のらせん理論の見直し)
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ビジネス・スクールで働き始める
校長先生からの依頼で、博士課程進学を前提に業務委託で働くことに。委員長室で広報と国際連携、同窓会連携などを担当。ケースライティングや翻訳の仕事も頼まれ、成り行きでフリーランスな感じに。
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東日本大震災
相方(現・夫)の家で遭遇。犬を二匹抱えてウロウロ。修了式を「自粛」することに。
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ケースライティングの仕事をはじめる
某企業グループのエグゼクティブ研修向けに、ビジネススクールで使われるケースメソッドという教育手法の教材を作るお仕事。そこから今に至るまで8年間、毎年季節労働をしている。もはや趣味というか、いつもめちゃ勉強させてもらってます。
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修論発表会
留学中に全く修論を進めなかったので、超短期集中で執筆。最初はSocial Entrepreneurshipをテーマにしていたけど紆余曲折あって、Impact Investing(今でいうクラウドファンディングとかSDGs投資とか)の研究になった。
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シカゴ(の近くのエバンストン)へ交換留学
東京でいう八王子みたいな。入学オリエンテーションの名物行事Skitでダンスをリードして友達がたくさんできる。芸は身を助く、を実感。Study hard, Play harderを体現。
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修論のフィールドワークでアフリカに
BOP(Base of the Pyramid)やCSV(Corporate Shared Value)の研究をしている岡田正大ゼミで、タンザニアとナイジェリアへ。一緒に行ってたゼミ仲間に道中ゴリ押し推薦されたとある同級生と、留学前に付き合うことに→今の夫。
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第1回JBCCを開催
国内ビジネススクールのケースコンペ。授業の内職で作った企画書が形になった。立場とか関係なく、言ってみればわりと何でも形になるもんだなと怖いもの知らずになる。後輩たちの努力でどんどんスケールして今でも続く大会になっているので、初代実行委員長というと「おぉー」と言われて密かに嬉しい。
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婚約破棄する
大学時代からの同級生と5年くらい付き合って婚約してたけど、人生の選択肢が狭まる気がしてドレスフィッティングで涙が出てきた。心の準備不足。ごめんなさいm(_ _)m
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大学に出戻る
入学式で前が見えないくらい本とケース(教材)が積み上げられ、5日間の合宿で洗礼を受ける。同級生たちが超ハードだという意味が分からないくらいのシゴトニンゲンであったことに気づく。2年間朝から晩まで一緒に過ごすフルタイムのビジネス・スクールで、生涯の友を得る。
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ビルコムを退職
辞表を出してから一年後、研究者になるんだ!と宣言して辞める。
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一人暮らしを始める
ビルコムに復帰すると同時に、三軒茶屋に引っ越す。終電逃してもタクシーで家に帰れるようになった!ということで、相変わらず仕事に熱中。
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休職中に政策シンクタンクでバイト
家にいるのは2週間くらいで飽きて、加藤先生がやっている構想日本で働かせてもらう。会社生活では出会わなかった人たちの金言を浴びて、視野が広がる。その後、修士学生の時代もちょいちょい非常勤スタッフとして手伝う。
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ドクターストップで3か月休職
エンジンかけすぎました。泣いて拒否する私、必死で説得する上司。今思えば上司に感謝。
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新卒1期生としてビルコムに正式入社
すぐに夢中になる。平日は朝8時~終電ときどき泊まり、週末はお昼過ぎ~終電、という生活を半年間続ける。
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卒論のためのフィールドワークで欧州バックパック旅行
幸福論がテーマだったので、出会う人に片っ端から「豊かさってなんだと思う?」と聞きまくる。帰国したら必須科目である体育のレポート提出〆切が過ぎていて、卒業が危うくなる。「私にとっての体育」という1万字手書きレポートで難を逃れる。
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ビルコムでインターンをはじめる
社員番号007。間借りしていたところからのオフィス移転プロジェクト。物件探しから。超楽しい。
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出来立てほやほやのPR会社にビビッとくる
戦争広告代理店を読んでPR会社に行きたいなと思ってOB訪問した先輩の紹介で、ビルコムの社長に会う。その場で入社を決める(勝手に)。しばらくして内定をもらう。社会勉強として就活の説明会は行きまくったが、リクルートスーツは着たことない。
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150人いるダンスサークルで舞台監督になる
ダンス漬けの毎日。OBや4年生が沢山出てくれたお陰で過去最高人数との噂があった大所帯をまとめるのに試行錯誤し、悩みながら、春公演をやり遂げた時以上の達成感をその後味わっていない。掛け持ちはダンスとサッカーの2つに絞る。
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イラク戦争の緊急バイトがはじまる
通常業務に加えて、AP通信とアルジャジーラから届く映像のキャプションづくりをすることに。メディアで働くのはちょっと違うかもって気づく。
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タイ、マレーシア、シンガポールを巡る
AO入試の書類の志望動機は、国際開発の勉強だった。東南アジアのソーシャルセクターを訪問してまわる研修プログラムに参加。とても勉強になったけど、4年前より状況は良くなってるし、先進国の目線で押し付けることじゃないかも、と国際協力NGOのテーマからフェードアウトするきっかけに。
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TBS ニュース工房でバイトをはじめる
報道部の隅っこでCS放送のJNNニュースバード用のニュースを作る。大量に届くリリースの中から取り上げたいものを選んで工房長に原稿を書いてもらい、映像倉庫から素材を探して編集さんに編集してもらうお仕事。学生のわりに裁量があって楽しかった。おじさんたちにエクステを珍しがられる。
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上海に短期留学
復旦大学で中国語を学びつつ、暴飲暴食の日々。帰国の少し前に
急性胃腸炎で入院し、一晩で点滴7本打たれて自分史上最高に流暢な中国語で看護婦とケンカ。
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加藤秀樹研究会に入る
以来、人生の恩師と仰いでいる。2002年は国際紛争、2003年はタイのゲイはなぜリスペクトされているのか?(今で言うLGBT)、2004年はブログやSNSで変わる21世紀のコミュニケーションをテーマに研究。ちなみに3年生からは伊藤陽一研究会も掛け持ち。
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大学に入学
「あなたみたいな変人の集まりだから」と担任に進められた大学で、過去最高のしっくり感。湘南藤沢って海のそばだと思ってたら違ったのはちょっとした計算違い。サークルを4つ掛け持ち。カモ池で寝転がってラップトップ叩いてたSFC生からするとリモートワークは「アタリマエ~」(アルシンド風)。
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家族は東京へ、福岡で叔父の家に居候生活
高3のメイン行事キャンドルサービスを絶対やりたくて転校を拒否。12月までに受験を終えたくてAO入試を選ぶ。その甲斐あって、実行委員長を務めたキャンドルサービスは先生の間でも語り継がれているらしい
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マレーシアとシンガポールにホームステイ
ライオンズクラブの青少年交換留学プログラムに参加。一生涯の友人と第二の家族@コタキナバルに出逢う。東南アジアの開発支援に関心を持つ。
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スイスでJrオーケストラのツアー
中学から入っていた福岡のジュニアオーケストラとスイスのジュニアオーケストラとで、6都市を巡る合同コンサートツアー。日本人のワークライフバランスがおかしいと気づく。
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高校生になる
特定グループに属さず、誰とでも付き合う超党派ポジショニングを確立。合唱部、社会研究部を掛け持ち。授業中に漫画読んでたり、歌ってたり、サクランボ食べてたりで職員室にちょいちょい呼び出される。母親も呼び出されるが昔の恩師なので「全く蛙の子は蛙ですみません〜」とテヘペロ。
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タスマニア島でホームステイ
夏休みの交換留学プログラムに参加。自分の言葉でコミュニケーション取れるまでは海外に行かせないという親の方針で、英検を取って初めての海外。現地校に通い、仕事の合間に私を迎えに来たりランチを届けてくれるホストマザーの柔軟なワークスタイルに驚く。
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カトリック系女子校で中学生になる
髪の毛は二つ結び、靴下は三つ折りが鉄則。吹奏楽部に入部(中3から合唱部に転部)。中高一貫で、恋愛とは無縁の女子校生活で開放的な人格形成がなされる。箸が転げても爆笑する日々。
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父、福岡へ異動の辞令
仙台で地元の公立中に行く気満々だったが、母の母校を記念受験
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吹奏楽部の先輩に目を付けられてイジメられる
「毎日笑顔で挨拶」を続けてたら、親友になった。
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吹奏楽部でクラリネットを始める
体育会系なガチ部活で、朝練、放課後練、土曜練と、クラリネット漬けの毎日
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仙台市立榴ヶ岡小学校に転校
「ゴミは投げよう」に衝撃を受ける
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枚方市立山之上小学校に入学
標準語と大阪弁のバイリンガルに必死に適応した結果、通知表で「言葉遣いが悪い」と書かれる
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モンテッソーリ子どもの家に入園
園長先生に転園を進められる事件あり
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母親がカンガルーワークを開始
1歳の弟を抱っこ紐に入れ、3歳の私の手を引いて、大阪⇔東京、大阪⇔福岡など
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大阪府寝屋川市に引っ越す
転勤族生活のはじまり
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生まれる