柔道を始める
これが闘いの人生が始まった第一歩。ここから全てが始まった感がある。
TBS ニュース工房でバイトをはじめる
報道部の隅っこでCS放送のJNNニュースバード用のニュースを作る。大量に届くリリースの中から取り上げたいものを選んで工房長に原稿を書いてもらい、映像倉庫から素材を探して編集さんに編集してもらうお仕事。学生のわりに裁量があって楽しかった。おじさんたちにエクステを珍しがられる。
相談に乗ってくれていた祖母が、相田みつをの詩を紹介してくれた
「自分だけが悩んでいる」と錯覚し孤独だった頃、「悩みは尽きねえんだなあ、生きているんだもの」という詩を見た。生きている人皆が悩んでいるなんて到底信じられなかったが、少なくともこの人は悩んでいたんだろう、と思えた。悩みは解決していないがずいぶんと楽になった。存在が許された気がした
インターネットを本格的に利用開始
日立のエンジニアだった父の影響もあり、幼少からMacで遊んだり、Windows95から触るこども時代。小学校時代もYahoo!きっずを愛用。 小6の歴史で、ネットの情報をまとめて超絶褒められてネットがより好きになる。
悩んでいた
悩んでいた。学校のこと、家のこと。心の中にぽっかりと穴が空いていた。「楽しい」とされる事があっても、その穴から抜け落ちていった。日差しが鬱陶しい。青空に腹が立った。クラスメイトはケラケラと笑っていた。温度差は僕を焦らせた。何でこんなに悩んでいるんだろう。悩んでいる自分が嫌いだった
鍬を振るわせてもらう
今まで触らせて貰えなかったものを触らせてもらえてはしゃぐ。今思えば僕の筋力は農作業で培われている。
上海に短期留学
復旦大学で中国語を学びつつ、暴飲暴食の日々。帰国の少し前に
急性胃腸炎で入院し、一晩で点滴7本打たれて自分史上最高に流暢な中国語で看護婦とケンカ。
インターネットとの出会い。
ひょんなことから友人と一緒にホームページを立ち上げることに。初めて自分のホームページを持ち、インターネット小説を連載。少し更新をサボると「作品を見捨てないでください」と読者からクレームをいただき、めんどくさくも温かいつながりを感じる。僕の発信の原点。
サッカーの試合で膝をケガ。引きこもりライフスタート。
唯一の逃げ場だったサッカーでケガをしてしまい、学校に行く意味を失い不登校気味に。朝まで自宅でインターネットして、昼過ぎに起きてゲーセンに通う日々。